【横浜事業所 いよいよスタートです!!!】
2020/12/07
リンクビーに、仲間が増えます。
大阪、大手町、秋葉原に続き、横浜に開所です。
すでに12/1にHPを開設し、詳細情報が掲載されていますので、ご覧ください。
http://www.linkbe.jp/access/
事業所の正式開所は2/1となりますが、
お問い合わせや説明会、見学は随時受け付けておりますので、
遠慮なくお問い合わせください。
リンクビーが目指すのは、強みや特性を活かした「自分らしい働き方」です。
そのために、リンクビーでは自己開示しやすい安心できる環境づくりを意識しています。
また、プログラムを通して自己理解を深めると同時に、利用者さん同士の相互の気づきも重要視しています。
それをベースとして、就職活動に向けての様々なアドバイスをいたします。
僕は小さいころからずっと、自分には何が足りず、何を必要としているのかもわかりませんでした。しかしADHDに効果のあるお薬を飲みはじめてからは、自分が置かれている状況について考えられるようになっていき、あるとき「僕は僕を理解してほしいらしい。しかし僕は、他の誰か1人でも理解しようとしていただろうか」と過去を悔いました。
そうして僕は、人を言葉で理解することを目指し、コミュニケーションについて、それまでより懸命に真剣に考えるようになりました。
ところが、ずっと考えのあやふやな状態だった僕が人を理解しようとするには、言葉をとても細かく扱う必要がありました。こうしてコミュニケーションについて試行錯誤をはじめた頃の僕は、非常にカタい言葉づかいでした。
――先ほどの「言葉で理解すること」も、当時の言い方では「厳密な言語的表現により知見を拡張し、身の振り方を模索する」というようなものでした。
あるとき私は「人に理解してほしいのであれば、まず自分が自分を理解している必要がある」と思いました。それから「自己分析」に重きを置いて就労移行支援事業所を探すこととし、答えに選んだのは「リンクビー」でした。
こうしてリンクビー大手町で就職活動を始めましたが、その前に大きな課題がありました。
私は障害特性として過集中になりやすく、また体調が不安定だったので、もし就労するとなっても仕事を続けられるのか、という不安を解消したかったのです。
私は、リンクビーへの通所をとおして、自らの体調安定に有効な方法を試行錯誤しました。職員さんにクッションやアロマの持参を相談したときも、真剣に検討していただいた上でご許可もいただき、とても親切にしていただいたお蔭様で、体調の安定を具体的かつ効果的に実現することができました。
それから実際に求人へ応募するフェーズに移行しましたが、私の話し方はなんともカタく、内容もきわめて抽象的で、また場の空気を考えて話す/動くということも苦手でした。これらの苦手さに加えて最終学歴は高校卒で、就労も障害者雇用枠とあっては、適職の発見や就労は、とても狭き門でした。
そのため就活をすればするほど、自分の状況を冷ややかに見つめては不安になって、挙句の果てに私は、友人と遊ぶたびに「おい、就職しろよ」などと言い出すほどでした。
しかし、リンクビーへの通所の中で、話しているときに気をつけるべきことや、その考え方を自分なりに理解していけたことで、今までの私には無かった「社会の一員としての生き方」が築き上げられていきました。
こうして適職を発見すること、それから念願の就労も達成できました。
私は、リンクビーで新たな自意識と自覚を得ましたが、今後はこの自分らしさを意識しつつも過去の後悔や柵を忘れずに、それでいてただ悲観するようなことも無く、安定就労を叶えたいと思っています。
リンクビーは、ありたい自分(ビー)に繋がる(リンク)ための環境が様々な面で整っているところだと思います。
現在通所されている利用者の皆さん、そしてこれから通所しようかと悩まれていらっしゃる方も、自らに必要なことが何かを見きわめてから、焦らずに試行錯誤/検討を重ねることで、納得感に満ちた生き方が実現できると思います。
私も、本稿をお読みの皆さんも、人生はこれからも勝手に進んでいってしまうことと思いますが、頑張ることはもちろんいつでも休むこともできます。しかし、そうしたくてもそうできなくて、苦しみのド壺にハマってしまっているのであれば、リンクビーは、きっとその助けになってくれると思います。
末筆となりましたが、職員そして利用者の皆さん、1年間ありがとうございました!!
職員さんにはこれからも、利用者さんに親身なスタイルを貫いてくださいますよう、お願いします!
(職員から)
何事にも積極的で向上心の強い隈図言さんには、ぴったりの企業に就職が決まりましたね。隈図言さんと職場が、どんな化学反応を起こすのか、とてもわくわくしています。しなやかに、したたかに、時を積み重ねていってください。
<卒業生Nさん、30代男性、ASD、通所13ヵ月、専門コンサルタント会社に就職>
2020/06/11
約16年間一般枠の様々な場所で働いてはみたものの、集団に馴染むことができずに失敗を繰り返し続け、思い悩み続けていました。そんな姿を見かねた母より心療内科の受診を薦められ、そこで発達障害の診断が下った時、内心で安心感よりも今後の人生に対する不安が勝っていました。
その後、地域の支援スタッフのサポートを受けながら障害者枠での就職活動を始めましたが、当時の私は「早く復職しなければ。無職は嫌だ!」と焦燥感に駆られており、それまでの事を反省する心の余裕はありませんでした。当然そんな状態では就職活動もままならず、やっとのことで入社した復職先でも、焦燥感と自己理解不足が原因となり、長続きすることはありませんでした。
退職後、支援スタッフから人との関わりの中で今一度自分を見つめなおす時間と場所が必要だと云われ、いそひとリンクビー大手町を紹介されました。
GW直前、不安と緊張感で一杯の中での体験入所中にある職員の方から「ゆっくりやっていこう」と優しい笑顔と言葉を頂いた時、ふっと焦燥感から解放された事を今でも覚えています。
②
入所してから
そしてGW明けから通所を開始。その中で色々な事がありました。
初めての個人課題発表の際に周囲から「こんなに弾ける人とは思わなかった。」と言われたこと、
自己探究研修の中で自らの失敗経験を振り返る中で「そんな風には見えない」と言われたこと、
チーム形式で取り組む課題の際、リーダーとして意見交換や作業割り振りだけでなく、休んだ人分の作業フォローや職員さんへの報告等やること満載の中、全員でやり遂げる事ができた事。
そんな通所の日々を過ごしていく中で、自分の今までの失敗と焦燥感の源が「思い通りにならないと気が済まない」特性であることに気づく事ができ、それ以降人からの意見を聞く為に私の口癖は「~だと思うんだけどどうだろう?」になりました。
③
就職活動を開始してから
そして昨年の秋頃、就職活動を開始。活動内容自体は学生時代に経験しているので程よい緊張感の中で進めることが出来ました。ただ以前と違うことは周囲と連携しつつ焦らずに一つ一つのステップに時間をかけて行うことを心掛けた事です。
会社見学、書類作成、企業選定などを約4ヶ月にわたって行い、年明けからは企業実習にも参加し、参加時には「いつも通りをいつも通りに」を目標に、通所時と変わらずに行動する事を心掛けたお陰で良い評価を頂く事ができました。
そして2月末、緊張の中で迎えた一次面接。今までの通所で見出してきた事を飾らずに伝えたのが良かったのでしょうか。無事通過することが出来ました。
しかし二次面接に向けて準備を進めていた最中、想像だにもしなかった事が起こりました。
④
コロナ、そして・・・
4月上旬、緊急事態宣言に基づいた在宅体制に入ったことで環境が激変。通所も就職活動もすべてオンライン、外出もほぼ自粛の中で窮屈な思いを強いられながらも、実習の際に立てた目標である「いつも通りをいつも通りに」を思い出し、今出来る事を粛々と進めてきました。
そしてオンラインでの二次面接。対面時と変わらぬ姿勢で臨み、通所開始から約一年が過ぎた日に内定通知。PCの画面前で静かに喜びに震えました。
そして今、一年前とは劇的に変化した環境の中でこの記事を書いています。
入所前には想像できない位様々な事が自分の内外で変化しました。その中においても自分が出来る事は「焦らずに、いつも通りをいつも通りに」を心がけ、周囲の言葉に耳を傾けて行動することだと今は思います。
⑤
最後に
ここまでサポートして頂いた職員の皆さん、リンクビー及びいそひとのメンバーの皆さん、有難うございました。皆さんからは言葉の有無に関わらず、様々なメッセージを頂きました。
そしてこのブログを読んでいるであろう皆さん、いそひとリンクビー大手町はお互いを見つめ直し、一緒に前に進む事ができる場所です。そして誰もが「焦らずに、いつも通りをいつも通りに」できる人になれると私は思います。
(職員から)
どんな時もまっすぐで誠実なNさん。リンクビー通所時は体調管理をしっかりされ皆勤賞
の常連でした。これからも自分らしさを大切にされてください。
<Kamoさん(仮名)、20代男性、PDD、通所1年4ヵ月、地方公務員として就職>
2020/04/18
1.
リンクビー通所前
私は、新卒で約三か月間働いていました。しかし、同じミスを何度も繰り返して怒られる、仕事の指示の意味が分からないなど、仕事ではかなり苦戦していました。そこで、インターネットで調べてみたら、発達障害がヒットし、調べたら自分とよく似ていると思いました。そこから、病院で検査をしたら発達障害と診断され、ソーシャルワーカーの人からリンクビー大手町を勧められ、見学を経て通所を決めました。
2.
通所開始時
最初はうまくやっていけるかどうかでした。しかし、周りの利用者や職員の人たちのサポートもあり少しずつですが、溶け込んでいくことが出来ました。
3.
訓練
リンクビーでは様々な訓練がありますが、一番ためになった訓練は自己探究研修でした。理由は、自己探究研修を繰り返していくうちに、自分は何がしたいのか、なんのために働くのかなどの就職する上での軸を理解することが出来たからです。
新卒の時は、全く考える機会がなかったのでこの自己探究研修はとてもためになりました。
それから、タイピング練習です。私は新卒まではあまりタイピングが得意ではなく苦手意識も強かったです、訓練で始めたころは、そんなに早く打つことが出来ませんでしたが、繰り返しやっていくうちに上達するようになり、すごい達成感を感じました。
4.
サポート
訓練以外でも職員の人たちは手厚くサポートしてくれました。例えば、面談の時には、毎回、様々な丁寧なアドバイスをもらいました。そのおかげで私は、様々な面で成長することが出来ました。また、リンクビー以外のことでも悩み事での相談も、聞いてくれたので迷いなく打ち明けることが出来ました。
5.
企業実習~就活
通所から半年ぐらいたったころ、そろそろ企業実習を受けたいと思い、就活に向けて動き始めました、企業実習は2社ほど受け、そこで自分が気付かなかった課題を発見することが出来ました。
そしてその後、本格的に就活に入り書類添削や面接対策を本格的に行い始めました。大変でしたが職員の人たちのサポートもあり無事に内定を得ることが出来ました。
6.
最後に
職員や他の利用者の皆さん、1年4か月の間でしたが本当にお世話になりました。リンクビーがなかったら私は道を踏み外したままだったと思います。このリンクビーでの経験を生かして、新たな職場でもしっかりやっていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
(職員から:まわりに流されず、いつも平常心を保っていたKamoさん。人望が厚く、隠れた人気者でした。これからも自分らしく、人生を楽しんでください!)
<卒業生Kさん、30代女性、PDD・ADHD、通所22ヵ月、IT系グループ会社に就職>
2020/04/11
前職がうまくいかず、怒られてばかりで悩んでいました。両親から就労移行支援事業所をすすめられ、リンクビー大手町を見つけました。発達障害専門の就労移行支援事業所で実際の職場を想定した環境や職業トレーニングに感銘をうけ、利用を決めました。
通所はじめは右も左もわからず、フリーズしてしまうことも多かったですが、利用者さんたち、職員からのアドバイスで「この時はこうすればいいんだ」「積極的に声をかけていいんだ」と自信がついてきました。
そして現在、誰とでも積極的に声をかけたり、何かあれば職員や周囲に報連相などコミュニケーションをとるようになりました。
就活ではリンクビーの就活担当やハローワーク、ゼネラルパートナーズ本社、相談できるところにはどんどん相談しました。工夫したことは、「記録をつけること」。ノートに取ったメモをWordにおこし、リンクビー職員も見られるように、自分でも見やすいように説明会や面接の記録を作りました。
最後に皆さんへのメッセージ。リンクビーは「失敗しても大丈夫」な場所です。失敗しても職員に相談し、改善していけば、失敗が減っていきます。
では皆さん良いリンクビーライフを!
(職員から)
就活でつらいときでも元気のいい挨拶を忘れなかったKさん、自分へのご褒美や趣味を楽しみながら、自分らしい人生を送ってください!!
① 通所に至った経緯
私は、リンクビー大手町に通所するまで、過去に2社の勤務経験がありました。
1社目の勤務の時に東日本大震災が発生し、そのPTSDが原因で手足の震えや、不眠の症状が現れ、当時勤務していた会社の近くの心療内科にて鬱病の診断が下りました。
しかし、中々症状が改善されず、違う症状を疑った両親の勧めで現在の通院先にて発達障害(ASD)の症状が判明いたしました。
役所との話し合いを実施し、中々気が進まない中、合同面接会を受けるも上手くいかず、何度かの話し合いで、リンクビー大手町への通所へ至りました。
② 通所開始当時
通所開始当時は、周りと上手くいくか不安でしょうがなく、また体力に問題があり、週4日の10時~15時スタートでした。
当時は、PCのスキルがあまりなく、どのようにコミュニケーションを取っていいか全くわからない状態でした。そんな中職員の方々の声等でなんとか通所への不安を取り除き、周りの利用者の方々との関わり方を良くして行きました。
そして、通所開始2カ月後から10時~16時の利用時間になりました。
③ 蝸牛型メニエール病を患う
通所開始4カ月目に入り、そろそろ週5の通所に入ろうと思っていた時に、リンクビー大手町で突然酷い耳鳴りと眩暈に襲われ、自宅近所の耳鼻咽喉科へ行き、蝸牛型メニエール病との診断を受けました。治るまで時間を3カ月ほど費やし、お茶の水の病院でMRIを取るなど大変な治療でした。
この時期に、リンクビー大手町の職員の方々に耳の調子のことを話したことで、体調の安定が大きな課題であるということが分かりました。
そして、この時期に始まった「自己探究研修」を受けるため、やや困難でしたが、週5での通所に入りました。当初、この「自己探究研修」を受けるのはあまりいい感じではなく、また耳の不調もまだ復調していなかったので、この時期はいい状態ではありませんでした。
④ 本格的に研修に取り組む
ようやく、蝸牛型メニエール病が治まり、身体が良い状態へとなった時、グループワークに取り組もうという話しになり、初めてリーダー役というものに挑戦いたしました。
耳の状態のことを考えると、結構無謀なことでありましたが、ただ受身の体制にいるのでは、何も変わらないだろうということで、挑戦いたしました。
結果としては、それなりなものが出来、良かったと思いました。その後、周りの利用者の方々と上手く行ったことで、就活研修やビジネス研修、先述した自己探究研修等を受けることがあまり苦にはならなくなりました。
また、PCスキルも周りの利用者の方々の教えやテキストを読むことでそれなりに出来るようになりました。
しかしながら、人混みや大きな雑音が苦手であり、そして障害特性への理解も進まず、本格的な就活には入ることが出来ませんでした。
⑤ 企業訪問から始まった就活
私はリンクビー大手町に通い出した当初、就活に対しても受身姿勢でした。そのため、どこの企業に行くかは、ほとんど考えていませんでした。ただ単に、人混みと雑音さえなければいいとしか考えていませんでした。
そのため、最初の企業訪問は周りの利用者が行っているからとりあえず行ってみようかぐらいにしか考えていませんでした。当時、そういうこともあってか、この企業に行こうというより、外の空気を吸って息抜きをしようという感じでの就活でした。
多くの企業を訪問し、またリンクビー大手町での事業所見学会にて訪問される企業の方々を見て、選り取り見取りだったにも関わらず、本格的に就活とまでは行きませんでした。
⑥ 環境を変えて
2019年に入り、そろそろ、就活に入りたいとリンクビー大手町の職員の方に尋ねたところ、一度リンクビー秋葉原にて、環境を変えての実習を受けてみたらという話しになりました。当初は、あまり乗り気ではありませんでしたが、受けることになりました。
環境を変えてみたことで、大きな力になりました。自分自身が今まで、大手町の環境に甘えていたことと、事務で必要とされる力がまだ足りていなかったことが分かりました。
結果、リンクビー秋葉原には2週間実習を受けさせていただきましたが、就職したら必要となる部分が何かを知るいい機会でした。その後、リンクビー秋葉原にて実施されている事務実習には、3カ月以上にわたり時々お世話になる形を取りました。
⑦ 本格的に実習
リンクビー大手町に戻り、企業実習を受けたいという話しを職員の方に相談し、一社実習を受けさせていただきました。
その企業では、実習内容としては軽い内容ではありましたが、データ照合で正答率は高いものの普通の人がやる量の倍のスピードでやってしまい、飛ばしすぎてヘトヘトになり、その時の口調が荒っぽくなる悪い癖が出るなど、過集中な部分が出てしまいました。
また、そのヘトヘトな部分が影響して軽作業に時間が掛かりすぎて周りの方々より処理するスピードが結局遅くなるという、バランスの悪い部分が出るなど、就労するときに悪影響を及ぼす部分が分かりました。
⑧ 面接・書類作成
書類作成は、過去にあったものを参照にしたことと、職員の方々のアドバイス・添削を含めて、タイミング良く出来ました。しかし、面接対策では自分の姿をいい形にするという作業が中々出来ず、そこで躓いていたところがありました。
就活研修・自己探究研修・ビジネス研修を受け続けるに従って、どのように面接に取り組んだらよいかをしっかり学ぶことが出来ました。
また、企業面接の時には、リンクビー大手町の職員の方々の指摘・アドバイス、良い所・悪い所のフィールドバック等があり、そのことが、非常に大きな成果に繋がりました。
そして、2年という長い通所期間でありましたが、ようやく新たな道にたどり着くことができました。
⑨ これから...
リンクビー大手町・秋葉原の多くの利用者・職員の方々と、2年の通所期間の間、様々な関わり合いがありました。得意でなかった人間関係の構築や、PCのこと、さらには報連相といったコミュニケーションのことと多くの学びがありました。
体調を崩しやすく、2年間通所させていただくことになりましたが、この場で得たことは、非常に多かったです。就職が決まらないことへの焦りは若干ありましたが、多くの方々のサポート体制があってこそ、この結果に繋がったと思います。
これからは、今まで上手く行かなかった部分がどこにあるのかをしっかりと受け留めて行きたいと思います。
⑩ 最後に、職員・利用者の方々へ
ちょうど2年間、本当にお世話になりました。多くの職員の方々のサポート体制が無かったら、このような新しい道に繋がることは無かったでしょう。
「場」に適応する不安がある中で、リンクビーの職員の方々は最後までサポートしてくれました。この2年間を大切にし、これからは体調を万全にして、新たな場でしっかりとやっていく所存であります。
そして、利用者の方々へ。
様々な利用者がこの場には居ました。この場を借りて御礼申し上げます。
これから利用する方々もいらっしゃると思いますので、この場でメッセージを添えます。
就活で焦ることは、失敗を招くことです。ですから、焦ることをしては絶対いけません。
通所の安定と体調の問題をどうやってクリアするか。そのためにも、このリンクビー大手町の職員の方々への信頼関係を築くことが大事です。
障害特性を理解する。
多くの職員の方々の、アドバイスやカウンセリングを通して、自分の障害特性を理解し把握すること、これは非常にきつい作業です。
ではありますが、障害者枠での就労となると、このきつい作業がいかに重要か、この部分がこれからの新たな道に繋がると思います。特に自己探究研修や業務報告書を見直すことで、この作業は大きな足掛かりになると思います。
そして最後に、利用者同士で仲良くコミュニケーションをしっかり取ることです。特に、土曜開所のOBOG会では役に立つ情報を得ることが出来、様々なことを知ることが出来ました。
これらを有効活用し、計画を立てて行けば、新たな道に進めると思います。
最後に、非常に長文になり、読みづらくなったことをお詫びいたします。
ではありますが、皆様のこれからをお祈りして、このブログを締めさせていただきます。
2年間お世話になり本当にありがとうございました。皆様のご健闘をお祈りしています。
(職員から)
私生活でもアクティブなロッドデビットさん(仮名)。人生を思いっきり楽しんでくださいね!
先日、リンクビー大手町を卒業させていただきました!卒業生のアイダホ(仮名)です。
この度、1年3ヵ月程の通所で無事に理解ある企業様に就職することが出来ました。
振り返ってみると長かったような短かったような不思議な時間だったなぁと思います。
私がリンクビーで学んだことの一つが「人から恥ずかしがらずに学ぶことの大切さ」です。
私は10代の頃から夢を追いかけて挫折し、その後定職に就くこともなく
何年も引きこもり生活を続け、さすがにこのままではマズい!...と一念発起し
医師からリンクビー大手町を紹介していただき、体験通所を経て利用者としてリンクビーに通所することとなりました。
実務経験がなく発達障害の知識も浅い私にとって模擬職場であり発達専門のリンクビーは初めての事ばかりで、職員さんや利用者の先輩方にひたすら聞いて回る毎日でした...。
そんな自分が嫌になることもありましたが、私が質問した皆さんの中に「そんなこと自分で考えなさい」という方は一人もいませんでした。
そうやって人から学ぶを繰り返しているうちに、仕事を最低限こなすうえでのPCなどのスキルや就活に関する知識なども身についていきました。
職場実習先で指導役の方に必ず仰っていただけるのが「わからないまま進めるのが一番ダメ!何かあったらいつでも相談に来てくださいね。」という言葉です。
何でも人に聞くってずっと自分の良くない部分だと思っていましたが、人に聞くって実は一番早くて確実なんですよね。
だから「不明点を早めに解決して次に進められる」という自分の長所なんだと今は思えるようになりました。
そしてそれを理解できたのは質問しやすい環境を常に用意してくださる職員さんや利用者の皆様のおかげです。
これから通所を検討されている方、通所間もない方は不安もあるとは思いますが、
ここにあなたの「なぜ?」や「わからない...」を拒む方は一人もいません!
自分の成長のためにどんどん不明点は人に聞いて解決していきましょう!
そして自分の過去を周りに受け入れてもらえるか不安な方、また自分のように前職がない事に負い目を感じている方もここにあなたの事を笑う人は一人もいません!
安心してリンクビーに飛び込んでみてください!
普通のサラリーマンになりたくなくて、しょうもない夢を追いかけ挫折しておいて
「普通のサラリーマンにしてください!(´;ω;`)」とリンクビーに泣きついた私でも就職できたんですから皆さんなら大丈夫です!
この一年本当に楽しかったです!職員さん、利用者の皆様ありがとうございました~!
(職員から)
普通のサラリーマンになっても、「アイダホさんらしさ」は失わないでくださいね!
企業✖当事者研究プロジェクト シンポジウムのご案内
2019/07/13
私は以前、某会社にて清掃要員として働いていました。しかしそこは過酷な肉体労働が多く、その割に給料もあまり多くなく、次第に 「本当にこれで良いのだろうか...」――という疑問に苛まれる様になりました。
そんな状態で日々を過ごしていた中、リンクビーの存在を知りました。
"発達障がい者専門の就労移行支援事業所"という事で、「ここに通えば今度こそ私にあった仕事に就けるかもしれない」――と思いました。
冬に前職を退職後、体験通所させて頂きましたが、事情により本通所に至るまで5ヶ月掛かってしまいました。諦めずに通所希望を持ち続けて良かったと思います。
リンクビーでは主に実際の業務を想定しての"職業トレーニング"が行われていますが、そこで私が最初に思い知ったのが "報告連絡相談" の大切さでした。通所したばかりの頃はその
"報連相" も満足に出来ませんでしたが、紆余曲折あって、気がつけば少しずつ自分から "報連相" 出来るようになりました。
この他にも、EXCELやWORD、POWERPOINT等の技術を学ぶ "PC研修" 、ビジネスマナーやストレスへの対処法、メモのとり方を学ぶ研修、就職活動や就職に関する様々な知識を学ぶ
"就活研修" などで、就職への準備を進めました。タイピング練習の時間もあり、そのお陰でタッチタイピングが出来るようになりました。
就職活動は夏あたりから少しずつ進めていきました。企業様の見学・説明会、東京しごと財団の職場体験実習面談会、ハローワークの面接対策セミナー・障害者就職面接会等、 "出来る事はどんどんやろう" というスタンスで進めていきました。
そして本通所から10ヶ月経った先日、遂に企業様から内定を頂けました。
今振り返れば期待と不安が入り混じった日々だったと思います。ようやく再スタートを切る事が出来、取り敢えず今はホッとしています。
まず "安定通所" と "報連相" に力を入れる、そうすればいつか必ず就職出来ます!、と断言しておきます。
最後になりましたが、職員・利用者の皆さん、今までありがとうございました。
時間が出来たらOGOB会にも顔を出してみたいと思っていますので、その時はよろしくお願いします。
<卒業生Mさん、20代男性、広汎性発達障がい、通所7ヵ月、総合保険会社に就職>
2019/06/11
① 通所までの道のりとその後の自分
私は、幼少期(3歳頃)に発達障がいと診断されていたにも関わらず、興味本位で去年一般枠の営業で働いていました。しかし、障がい特性の一つである「空気や周りの状況を読むことが出来ない」ことがきっかけで、相手(クライアント)の意思やニーズを汲み取りながら成約を結ぶ事に当時は大苦戦しておりました。これらの問題もあり、ハローワークの方と相談して退職することになりました。
通所してからまず始めに3ヶ月間はプログラム参加をメインに行なっていましたが、私自身の社会人経験が非常に浅いということもありPCを使った作業においては「業務スキル」ではなく、「趣味・特技」の領域としてその場を乗り切っていくしか無かったので、正直なところ大変ではありました。
しかし、何回も異なる業務や研修を体験していくうちに、周囲の方(職員と利用者)とも次第に打ち解けられるようになり、周りと相談を繰り返していった事により一つ一つこなしていけるようになっていきました。
② 就職活動期間
元々通所を始めてから無遅刻・無欠席・無早退をずっと繰り返して来たので、安定通所に問題はなく3ヶ月経ってから就職活動前準備(書類作成・添削)を1ヶ月間行い、終えた後に就職活動を開始しました。ただ、実際は通所を始めてから1ヶ月後に「事業所見学会」において実際に内定をいただいた企業様から実習のお誘いが来ていたので、その企業様の実習に参加した時点で私の就職活動が始まっていたのかもしれないと今では感じております。
実際、就職活動を本格的に始めてからは職員の方には結果報告は随時行なってきたものの、面接対策や志望動機固めなどは全て自主的にリンクビー秋葉原のプログラム終了後に自宅に帰ってずっと寝ずに模索していました。そのため、書類選考や一次面接は通過する事があっても最終面接で躓くといった足踏み状態が2ヶ月ほど続いていました。そしてハローワーク経由での実習においても、業務は一つ一つこなせても、人事の方との意見や考え方が合わずに不採用になるケースが続いていました。
そのため、一番始めに行った実習先だけが唯一私の全てを受け入れてくださり「採用したい」という気持ちが企業様側にあったので、私もその気持ちに応えて面接選考を受けた結果、就職活動を始めてから3ヶ月経ち、無事に内定を取ることが出来ました。
③ 利用者に向けてのMessage
私は、リンクビー秋葉原のプログラムを通じて是非とも利用者の皆さんと、これから通所を希望している方に向けて以下の3点を行なって欲しいと考えております。
1.
体調に負けないで欲しいこと
ご自身の体調と向き合い、できるだけ安定してから就活を始めるとは思いますが、就労移行支援事業所に通所してからは、体調を安定させている時間よりも就活をしている時間の方が一番時間がかかる上に、終わりが見えにくい領域に入ると通所してから感じました。
そして何よりも、どんなにスキルがあっても、どんなに仕事が出来ても、やはり「体調を安定させる」という事は、就活を行うにあたっての前提条件となってしまいます。だからこそまず始めに体調に負けずに、今を頑張って欲しいと思っています。
2.
計画的に動き、できるだけ早めに就活フェーズに入ってほしいこと
前項の「体調に負けないで欲しいこと」でも記述しましたが、就活フェーズに一度入ったら後戻りは出来ない上に、人によっては長期間時間がかかることもあるので、「終わりが見えにくい世界」に突入することになります。
だからこそ、Step1:安定通所期間(約3ヶ月)→Step2:応募書類作成・添削期間(約1ヶ月)→Step3:就職活動期間(約3ヶ月・5ヶ月 又はそれ以上)という段取りをあらかじめ自分の中で計画して、取り組んで行くことが大事だと思っています。
そうする事によって、例え終わりが見えなくても自身の就職活動期間に対して余裕が出来たりゆとりを持たせたりすることが出来ると思っています。
3.
ハローワークや転職エージェント等、複数の手段を、最終的には自分で慎重に選んで欲しいこと
就職活動において、ハローワーク・転職エージェント(atGP等)・その他をどちらか片方あるいは全て選択して就職活動を始められる人が多いのではないかと考えております。
就職活動をする上においてはお互い(利用者と相談相手)がお互いの事を理解して協力して行くことによって、よりミスマッチの起こりにくい就職活動を行なうことが出来ると思っています。最終的には、支援機関やエージェントも、自分で決める事。就職活動も自分で決めていく事が、大切なのだと思いました。
改めて、7ヶ月という短い期間ではありましたが本当に今までお世話になりました。
皆様の就職活動が上手くいくように心からお祈りしています。
本当に今までありがとうございました!!